ようこそ近代水戸へ

のっけからこんなんですみません(汗)!皆様引かないで!
突然何かといいますと、今年の大河ドラマで芹沢活躍してるわ、黄門様グッズ増えるわで、
管理人が勝手に「今年ブレイクするんでは!?」と踏んでいる、
管理人の故郷茨城県の近代をプッシュする企画です。

幕末初期は、「水戸」というだけで諸藩から「おお〜!!」と一目置かれた水戸藩。
政治には大きな影響力を持ち、暗殺事件といえば必ずといっていいほど絡んだ水戸藩(汗)。
それなのに、明治になって気がついてみると、あれれ?水戸の連中はどこに?という始末(涙)。

ここは、そんな知られざる(といってもちょっと調べたらわかるけど←死)近代水戸&勝手にお国紹介のコーナーです。
…かなり恥ずかしいブツなので、期間限定の可能性大です(苦笑)。


●水戸の気質

突如驚かせてしまったでありましょうこの背景。実はコレは、
水戸の藩校「弘道館」に、現在も展示してある書を加工したものなのです。マジですって!
「水戸」を一言で表現するとしたらコレしかないかなあって(やりすぎだっちゅうの)。

水戸といったら避けて通れない「尊皇攘夷思想」。コレはさかのぼるとアノ無敵じいさん黄門様、つまり光圀の時代にまで戻らないといけないので
ちょっと省略(単に管理人自体よくわかっていない←死)。早い話が、天皇を敬って夷狄を討て〜というもの。
御三家、なおかつ江戸常駐を許され副将軍の呼び名があった水戸徳川家
にしては佐幕でありつつ尊皇という、ギャップが激しい思想です。
それもこれも戻るところは黄門様…。後年これがモトで大変なことになるとは思ってもいなかったのでは(汗)。

幕末、コレを地でいったのが九代藩主徳川斉昭。か〜なり精神主義的で、ペリー来航前から尊攘尊攘と大騒ぎ。
実力はそんなに無いものの、大言壮語もお手のものだったので、諸国の過激分子からはカリスマ視されることになります。
(このあたり昭和の某荒木氏を彷彿とさせます←痛)
でも、そんな殿は大奥不法侵入(未遂)を企てて大奥の女中に死ぬほど嫌われてたりする一面も。
子供もメチャメチャ多いですし、いやいや、変なところでお盛んな藩主様で…(爆死)。

まあ、そんな水戸っぽの気質を、世に「水戸の三ぽい」といいまして、「怒りっぽい」「理屈っぽい」「骨っぽい」とまとめられます。
その他、「茨城の三ぽい」という「怒りっぽい」「惚れっぽい」「忘れっぽい」というものまであります(笑)。
共通するのが「怒りっぽい」といった何とも救いようの無い性質(泣)。しかしコレは現在も受け継がれているのですよ…。
自分も否定できません(笑)。あ、さすがに現代で暗殺に出る人はいませんから(苦笑)!

よく言えば純粋で意志が強い、悪く言えば頑迷で精神主義的。
信じ込んだら一直線。あとはもう建白書爆送だろうが暗殺だろうが(死)、後先考えず突っ走ってしまう水戸人。
この過激県民性を念頭において近代史を見ると「ああ〜」と納得してしまうのが水戸の単純なところ(汗)。


●幕末水戸藩・天狗党

幕末の水戸史を語る上でハズせないのが天狗党。
名前はメジャーですが、イマイチ実情が知られていないと思う今日この頃。
管理人も目下勉強中なのですが(汗)、その事実をちょっとご紹介〜!

そもそも天狗党とは。水戸藩には改革派と保守派がおりまして、保守派はいわゆる諸生党と呼ばれておりました。
そんな諸生党が、尊攘思想をタテに台頭した身分の低いものが多かった改革派を気に入らず、
成り上がりものの「天狗」のようだと揶揄し、呼ぶようになった「天狗党」の呼称。
そんな呼称を、改革派は「天狗って、人は持ってない神通力とか持ってるよね。優れた者という意味にもとれるから、この呼び名いいじゃん!」と
逆に気に入って(笑)自分達でも「天狗党」の呼び名を歓迎したのでした。オープンですね…。

そんな天狗党、元治元年三月、筑波山に挙兵!!
「幕府が攘夷の勅命を受けたのに全然実行しないから、自分達が先駆けとなって攘夷の実を挙げて、幕府にも断行を迫ろう!」
というのが挙兵の名目。 コレがガンガン膨れ上がり、総勢170人ほどに。

コレにビビった藩家老市川三左衛門、諸生党と協力して天狗征討を幕府に要請、幕府は出兵することに…!
征討軍約3700名、対する天狗党もさらにボリュームアップの3000人(いつの間に!!)。
各地で転戦しながら、負け態勢の天狗党は京都を目指します。
当時、京都には禁裏御守衛総督を務めていた一橋慶喜が!彼を頼りに、
天皇に尊皇攘夷の心を奏上してもらおうとしたのですよ。

そんなこんなでまたまた転戦に転戦を重ね、戦いむなしく越前でとうとう包囲されてしまう天狗党!
しかも、慶喜自身が自分達に対し反感を抱いているという話を聞き、仕方なく降伏…。
ここから先は、凄惨な大虐殺が行われるのです…。

ちょっとこの大虐殺は重い語りになってしまいますので割愛いたします…。このサイトの趣旨が「おめでたく!」なもので…。
ちょっと調べれば、天狗党員がどのような仕打ちを受けて殺されたかが具体的に解りますのが。
大体を述べますと、ニシン蔵に押し込まれ、幹部クラスだけでなく多くの党員が処刑となったのです…。

しかもそれだけでなく、天狗党に関わった者なら、本人だけでなくその家族まで弾圧に遭ったというので…。
長州藩や土佐藩でも、対立する派閥抗争がありましたが、水戸はとんでもなく根が深く陰湿です。
ここらへん、どこが「忘れっぽい」気質なんだとツッこみたくなりますが(汗)。根に持った部分が爆発すると恐ろしい水戸(死)。

しかも。その後大政奉還。幕府はとうとう崩壊の一途を…。ここで復活したのが反諸生党。天狗党の恨みを晴らすべく、
まやもや吹き荒れる逆襲の弾圧(涙)!もう誰か何とかしてください。こうして内部抗争が続くうち、気がつけば明治に。
こういう弾圧を繰り返したために有為の人材を殺戮しつくしてしまった水戸は、時代の波にガンガン取り残され、
明治になると誰もいなくなってしまったのですね…(涙)。

こういう暗い事情もあってか、あまり語られない水戸藩の実情ですが、どうか幕末には水戸藩の影響が大きかったという事はお忘れなく!!
ああ、やっぱりこの話をしちゃうとどうしても暗くなっちゃいますね…(汗)。
次から、またアホな語りモードに戻ります(爆)。

 

●近代有名人

水戸・茨城出身の、(私には)有名と思われる近代史人の一部をご紹介。
ごく大雑把、かつまだまだ有名人はいらっしゃいますのであしからず。

徳川斉昭 第九代水戸藩主
徳川慶喜 徳川幕府第十五代将軍
会沢正志斎 学者
藤田東湖 学者
藤田小四郎 東湖の息子・天狗党首領
武田耕雲斎 天狗党盟主
芹沢鴨 初代新撰組局長
新見錦 初代新撰組局長
伊東甲子太郎 新撰組参謀
鈴木三樹三郎 新撰組九番隊組長
橘孝三郎 愛郷塾塾長
井上日召 血盟団首領
栗田健男 海軍中将

幕末は主に暴発組&粛清組、昭和期は暗殺集団組なんかで大変痛々しいラインナップ(爆)。


●茨城県の近代史史跡★

ではそんな茨城県内の史跡を、私が行ったことのある場所を中心にご紹介。

●まずは藩校、「弘道館」〜!佐賀の藩校も同名ですが、水戸のほうが後にできたのでパクリっぽい…(汗)。
現在の水戸市にあります。正庁ではこの背景の「尊攘」の書がドドンとお出迎え(笑)。
1841年に斉昭が設立、現在の総合大学的設備を持ってたとか。戊辰戦争の際、慶喜が謹慎していた部屋も残ってます。
そのため、数年前の大河「徳川慶喜」では、最終回のロケ地に!もっくんの写真や台本なんぞも、脇の売店に展示してあります(笑)。

内部では、他に水戸藩ゆかりの品もちょこちょこ展示。吉田松陰が訪れた際の品(たしか書簡だったかな?)もあります。
普段はそんなに人も多くないので、ゆったり幕末気分に浸れますv


●次に、「幕末と明治の博物館」vコレはそんなに有名な博物館でないので、知ってる人は少ないハズ…。
ここは、土佐の田中光顕(謙助)が、「水戸は幕末にあんなに頑張ったのに、明治以降全然報われてないから…」と、
幕末の志士を顕彰する施設のために、自分の土地八千坪をポンと寄付して作られたものだとか!!
ありがとう謙助〜(感涙)!!しかしその財力にちょっと嫉妬(笑)。
博物館前には、珍しい(?)謙助像がv

中では幕末の流れを紹介するムービーや、謙助から寄付された志士の遺品などを展示。
桜田門外の変の絵や、幕末の水戸藩の志士の書などがてんこ盛りv
そのほか、謙助が土佐人だけに自然に土佐ものも多く、龍馬の書簡、武市の絵、吉村虎太郎書簡などがあります。
伊藤博文書、木戸さんの書など長州モノもv

大洗町というところにありますが、アクセスがあまりよくないので行かれる際は車をオススメします


●そして、この「幕末と明治の博物館」にほど近いところにあるのが、「立正護国堂」

ここは、あの昭和初期を血腥い事件で騒がせた血盟団の総本部(怖)。
キャッチフレーズは「昭和維新発祥の地」!!境内には井上日召の像も…!!
意を決して突撃取材を試み、恐らく住職と思われる(確かめろ)方に本堂を見せて頂きましたが、何も知らないで行くと本気でビビります。
…何と、内部は、5・15事件や2・26事件を起こした青年将校たちの写真で一杯なのです…(驚愕)!!
その圧倒的な雰囲気にかなり押されたとどめに、住職(?)のお話攻撃が待っていました(苦笑)。
小一時間ほど日召について語ってくださいましたが、気付くと住職(?)自身の若い頃のお話に…(汗)。

本堂内部には、謙助の書「勤皇聖者日蓮上人」も。やっぱり昭和初期と日蓮は切っても切れない関連が…。
そして、翼賛芳名の中には、もちろん謙助を筆頭に頭山満、田中義一、佐藤鉄太郎とそうそうたる顔ぶれ!
うわあ皆さんマジですか!?でもその中に岡田啓介&鈴木貫太郎と、2・26で襲撃されたメンバーがいたのがなんとも…(冷汗)。

…とまあ、ここはかなりディープな場所です。もし興味がおありでも(いるのかそんな人!?)それなりの覚悟で臨みましょう(汗)。

●ここからまた幕末。あの新選組初代筆頭局長、芹沢鴨生家

私が初めて訪ねたのは数年前でしたが、当時は人が住んでいる気配は無く…。
雨戸などもびっちり閉められてまして。でも、庭はきれいに手入れされた跡があり、不思議な場所でした。
町自体田舎ですが(死)、さらにちょっと山奥のような所にあるので、雰囲気はバッチリ幕末です。
でも現在、この生家がある玉造町(たまつくりまち)は、芹沢で町おこしを目論んでいますので(笑)、
少しは観光用にリメークされているかもしれません…。
行かれた方、是非ご報告ください(オイ)


●この他にも、霞ヶ浦近くの「予科練記念館」など、近代FANには見所たくさんです。
この「予科練記念館」は、モロに自衛隊が管理されてますので、入館には自衛隊で手続きが要ります(汗)。

館内には、予科練の生徒達が使用した遺品等が展示され、色々な意味で胸が打たれます…。
有名どころでは、たしか五十六の写真や大西瀧次郎の書(うろおぼえ←死)があったと思います。
敷地内には航空機も多く展示。航空機にはちょっとうとい私ですが、そのテの愛好家の方には評判がいいようです(苦笑)。

…以上、私が訪ねた茨城近代史史跡でした!色々ディープでデンジャラスな史跡(爆死)が多いですが、
もし何らかの理由で茨城を訪れた際にはチャレンジしてみるのも話のタネにいいですよ〜(笑)。



●レッツチャレンジ☆水戸弁

さて。やってきてしまいましたアホ企画。
ここでは、よくお笑いのネタにも使われる(爆)茨城弁というものをご紹介のコーナーです。

…と、いいましても…。実はコレを字に起こすのは何とも難しい限りで…。
基本は、他県の人が聞くと「ケンカしてるように感じる」という荒っぽい言語です(死)。
一番有名なのが「語尾上がり」と「だっぺ」(死)だと思うのですが、他にもよく半濁音になったり、小さい「つ」を多用したりします。

ではここで例文を。題して、「井伊が気に喰わない水戸浪士三人の会話」
そんなイメージで例文を作ってみました。まず、標準語。

浪士A「近頃の井伊大老の圧政には本当にハラワタの煮えくり返るような思いだ」

浪士B「本当だな。それに我々水戸の者をことごとく弾圧している。もはや、我慢ならん!」

浪士C「どうして、尊攘という大義を持ったしっかりした政策がとれぬのだ!!自らに反対するものを弾圧とは、卑怯ではないか!」

浪士A「…こうなったら、その命を奪ってでも、この悪政を止めるしかないな」

浪士B「…殺るのか?」

浪士C「そうだな。そうでもせんと、あいつには己の愚かさが解らぬのだ!!」


…以上、シリアスな標準語版。コレを茨城弁にすると…↓

浪士A「近頃のよー、井伊大老の圧政はハァいじやげっごどー!!」

浪士B「だっぺ!?んでよ、俺ら水戸のモンをえらく弾圧しでな。もう、我慢でぎね!!」

浪士C「何でよー、尊攘っつう大義さ持っでしみじみした政策がでぎねんだっぺか?自分にさがらう奴をぶっぢめるっちゃ、いしけえやっちゃ!!」

浪士A「…したら、その命さとっでもよ、この悪政を止めるっきゃあんめよ」

浪士B「…殺っか?」

浪士C「殺っぺ。こーたらこどでもしねえと、あいつにゃ自分のごじゃっぺさがわがんねえべよ!」


…コントですかコレ(爆死)!!
自分で訳してみて、あまりの緊迫感の無さに泣けてきました。やっぱり字面じゃ難しい…。
…どうですか?お解りになりましたでしょうか…(汗)。

ちなみに、ちょこっとフォロー。

「ハァ」=「〜は」という言葉をつなぐ際に使われる言葉。あっても無くても意味は伝わります。

「いじやげる」=心の底から腹が立つ。茨城人にとって、マジギレ寸前を示します。

「しみじみする」=「しっかりする」というようなニュアンス。これを標準語に直すのはかなり難しいです(汗)。

「ぶっぢめる」=押さえつける。押し込んでおく、というような場合にも使用。

「いしけえ、いしこい」=ずるい、卑怯な。管理人は小学生時代に乱発してました(死)。

「ごじゃっぺ」=駄目、馬鹿、というようなニュアンス。かなり有名な茨城弁(?)。

…以上、全然役に立たない茨城弁講座。
ちなみに、私は県東地区出身なので、県西、県北、県南とはまた違うと思います。
何より、水戸の武家はさすがにこんな言い回しはしないだろう…。
「何、この言語!!日本語!?」と思われた方、これが茨城弁です(死)。興味が湧いた方、是非ナマで聴いてみてください(爆)v

そして。茨城県民の同胞の方々、本当に申し訳ありません!!恥を売りました!!(土下座)
今度、里帰りする時は闇討ちに気をつけて帰ります…(シャレにならない)。

 

ではでは。めくるめく近代水戸ワールドはいかがでしたか?
もういい、帰るという方はどうぞ下の「戻る」をクリックしてお帰りください。
未知の世界を垣間見てしまったあなた、そして万が一興味が湧いてしまったあなた!
是非一度、漫遊空間いばらき(※茨城のキャッチフレーズ)へお越しください!

こんな奇怪なページを作ってしまった管理人ですが、故郷をガッチリ愛しています!!(本当!)
もともと、「お!?今年は水戸がくるか!?」という出来心で作ってしまったこの企画ですが、
少しでも、近代に埋もれた水戸を発見していただけらばいいなと思います…。

それではこんなアホ企画をここまで見ていただき、ありがとうございました!!(感涙)
あなたに幸が訪れますように!!

 

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